本尊

Reclaim the True Spirit of Soka Gakkai

2024年現在の創価学会はこのように主張しています。

教理的には本来、本門の本尊は「弘安二年の御本尊」に限定されるものではなく、末法の衆生のために大聖人御自身が顕された御本尊と、それを書写した御本尊は、すべて根本の法である「南無妙法蓮華経」を具現されたものであり、等しく「本門の本尊」である。
『創価学会 教学要綱』p.150

大聖人の真筆、またはその書写であれば何を拝んでもOKだと言っています。
こんなに恐ろしい謗法がどこにありましょうか。

永遠の師匠・戸田城聖先生は、これとは真逆のご指導をされています。

日蓮大聖人様はいつも、この娑婆世界に住んでおられる。現在は富士大石寺におわします戒壇の大御本尊として出現されているのだが、多くの邪宗のものたちは、近くにいながら、かわいそうにも日蓮大聖人様の御当体とは気が付かないでいるのである。

『方便品寿量品精解:日蓮正宗』p.46

日蓮大聖人の法門では、拝む対象はただ弘安二年十月十二日御認めの戒壇の大御本尊様あるのみである。

『方便品寿量品精解:日蓮正宗』p.100

三大秘法とは、本門の本尊と、本門の題目と、本門の戒壇との三つの秘法であり、この本門の本尊すなわち弘安二年十月十二日の一閻浮提総与の大御本尊に対して題目を唱えるのが大聖人の御教えである。
現在のように種々雑多のものをまつって本尊としたり、お守りしたりして、これに向かい唱題しているということは、根本的に大きなあやまりであり大聖人の教えに背いている仏敵である。

『折伏経典 改訂版』p.341

御本尊が大聖人の御真筆であつても、大御本尊に直結しなければ何の功徳もないのである。
富士大石寺の大御本尊を拝まないものはすべて謗法である。
『折伏経典 改訂版』p.321

弘安二年の御本尊こそは、日蓮大聖人の御当体であらせられ、それ以外を拝むのは謗法であり、仏敵の所業である!

これが戸田先生の教えです。師匠の教えであり、本来の創価学会の教えなのです。

真実から目を背けてはなりません。

創価学会員であれば、富士大石寺におわします戒壇の大御本尊を信じ奉らねばならないのです。

 

師弟不二と言いながら師匠の教えを殺してしまう…良いわけがありません。